
いい魚は
足で探す
目で選ぶ
「猫跨ぎ」と呼ばれていたシマホッケを、
日本中の食卓に広めたのは、一人の男の
「これは絶対に売れる」という確信だった。海神 創業者・石井英樹
シマホッケがまだ広く知られていなかった頃、その美味しさと可能性に気づき
「これは、これからの魚だ」
そう信じ、自ら仕込み、自ら店頭に立ち、お客様の声を確かめながら、一歩一歩その価値を広げていきました。
志をともにする8人の仲間と共に目指したのは一つ。
「もっといいものを、もっと美味しい干物をつくること」
原料を選び、加工を工夫し、一つひとつの商品を追求する。
その根底にあるのは、創業当時から変わらない「本当に美味しいものを届けたい」という想いです。
1960年代

story.01 原点図鑑を抱いて寝た少年が、
人生を懸けて選んだ道
子どもの頃から魚が大好きだった。
魚の図鑑を枕元に置き、釣りにも夢中になった少年時代。
大学卒業後は東京で営業マンとして働いていましたが、30歳のときに大病を経験。
入院中にこれからの人生を考え、「子どもの頃から好きだった魚に関わる仕事をしよう」と決意し
地元・いわきへ戻り、水産加工の世界へ。
ここから、石井と魚との長い仕事が始まりました。
1989年〜 地元水産業へ入社
1991年〜「干物加工事業」起ち上げ

story.02 執念反発と孤立を越え結ばれた絆
当時は1年のうち実際に働けるのが3〜6ヶ月程度で、残りの期間は仕事がほとんどない状態でした。
「年間を通して仕事を作るにはどうすべきか」と考え抜いた末に辿り着いたのが、
ただ仕入れて売るのではなく、自分たちでつくる「水産加工」でした。
入社2年目、会社の業績も厳しい中、「自ら加工事業を立ち上げたい」と社長に直談判。
「そこまで言うならやってみろ」と任され、ゼロから事業をスタートさせました。
しかし、周囲の視線は冷ややかそのものでした。
社内からは強い反発が起き、新しい挑戦への理解は得られず、文字通り「孤立無援」の船出。
誰もついてはきてくれませんでした。
誰も応援してくれないなら、己の技術と行動で証明するしかない。
現場へ出向き、お客様の「こんなのがいい」「あんなのが欲しい」
という生の声に耳を傾けながら、手探りで一つひとつ商品を作り上げていきました。
早朝から夜遅くまで、ひたすら愚直に現場に立ち続けました。
その熱量は、少しずつ、しかし確実に人々の心を動かしていきます。
最初は一人だった現場に、一人、また一人と理解者が増え、
やがてその波紋は会社全体、そして市場全体を巻き込んでいきました。
1995年〜

story.03 開拓見向きもされなかった魚から
16億円を生み出す市場の主役へ
当時、市場では国産のマホッケが主流で、シマホッケはほとんど世に出ておらず、
「猫またぎ(猫も避けるようなもの)」と言われるほど、見向きもされない魚。
そんな中、北海道を訪れた際、現地スーパーのバイヤーと一緒に
シマホッケの加工品を食べ、その脂の乗りと美味しさに驚きます。
「この魚は絶対にこれからの時代に出てくる」
可能性を感じ、そのバイヤーとタッグを組み、シマホッケの販売に取り組み始めました。
しかし、最初から順調だったわけではなく、初めて挑戦した際には、あまり良くない原料を仕入れてしまい、加工の段階で非常に苦労するという失敗も経験しました。
そこで、「加工以前に、まず原料選びを徹底しなければ良い商品は作れない」と痛感。
良質な原料を安定して仕入れられるルートを一つひとつ開拓していきました。
また、シマホッケの脂の乗りを見た目でも伝えられる「センターカット」にこだわりました。
北海道で専用の加工機械を見つけて導入し、開いた魚身の両面に脂がしっかり見える商品に仕上げることで、品質だけでなく売り場での見栄えも大きく向上しました。


良い商品を作るだけではなく、
「どうすれば手に取ってもらえるか」という売り方にも工夫を重ねました。
あえて読みにくい漢字を商品名に使い、
「これは何だろう?」と興味を持ってもらうネーミングを採用するなど、商品の背景やストーリーまで含めたブランドづくりを進めました。
また、3ヶ月に1回ほどのペースで新商品を投入し続け、「あの会社が作った商品なら美味しい」という信頼を積み重ねていきました。
誰も振り向かなかった「猫跨ぎ」と呼ばれていたシマホッケは、
石井の執念と地道な努力が、年商16億円という巨大な柱へと変えたのです。
2010年〜「海風干物店」設立・独立

story.04 挑戦「量」を届けるから、
とことん「質」を極める道へ
自ら立ち上げた干物事業を16億円規模にまで育て上げ、多くのお客様に美味しい魚を届けてきた。
しかし、全国の量販店へ大量に供給する仕組みの中では、
どうしても「数量の確保」が優先される場面があった。
より高いクオリティと職人としてのこだわりを追求するため、20年勤めた場所を離れ独立を決意。
妥協のない目利きで選び抜いた「本当の極上」だけを届けるため、
志をともにする8人の仲間と新たな挑戦が始まりました。
資金の限られた創業期、「量が少なくても、質の高い原料にこだわりたい」という揺るぎない想いに、
本来であれば敬遠される小ロットの仕入れ相談に、取引先は快く応じてくれました。
前職の20年間で愚直に築き上げた確固たる信頼関係が、独立直後の妥協なき仕入れと、
妥協のないモノづくりを支えてくれたのです。
2011年〜東日本大震災・新潟で
の再起

story.05 不屈東日本大震災。
その時、石井が見ていたもの。
会社を立ち上げて間もない頃、東日本大震災が起こりました。
食料事情が厳しくなり、先の見えない状況の中でも、
石井はその出来事をただ「危機」とは捉えませんでした。
これから何が起こるのかを考え、自分にできることを見極める。
自ら工場を立ち上げ、社員を募集し、また一から会社をつくり直す。
苦しい状況であっても、石井はそれを「苦労」として捉えませんでした。
どんな状況でも、次に何ができるのかを考える。
それもまた、石井英樹という人物を語るうえで欠かせない姿勢です。
2016年〜「株式会社海神(わだつみ)」として新たなスタート

story.06 未来次の世代へ、
魚を見る目を受け継ぐ。
長年、魚と向き合ってきた石井が、今大切にしているのは、
これまで培ってきた経験を次の世代へ伝えることです。
特に育てたいと考えているのが、良い原料を自分の目で見極められる人材。
良い原料を選ぶことが、その後の加工や商品づくりにつながる。
だからこそ、仕事の出発点である原料を見極める力を受け継いでほしいと考えています。
そして、ただ目利きができるだけではなく、
「この原料を仕入れたら、その先に何があるのか」まで考えられる人に。
これまで積み重ねてきた知識や情報を次の世代へ伝えながら、海神の品質を守り続けていく―。

| 1980年〜 | 都内の大手企業にて、営業の原点を体得 |
| 1989年〜 | 地元鮮魚店へ入社 ―「干物加工事業」を一人で起ち上げ、試行錯誤の末に一大事業へと成長 ―シマホッケの圧倒的な旨さを見抜きヒット商品化を推進 ―開き加工の可能性を追求し、専用機械を導入 ―加工事業を売上16億円規模へ成長させる |
| 2010年〜 | 「海風干物店」設立・独立 |
| 2011年〜 | 東日本大震災・新潟での再起 |
| 2016年〜 | 「株式会社海神(わだつみ)」として新たなスタート |